Kindle版 イエズス・キリストの私生活と公生活 天文学データ

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16.西暦8年、ユダヤ教の司祭たちが「ユダヤ人の古い太陽暦」を改革しました

16.西暦8年、ユダヤ教の司祭たちが「ユダヤ人の古い太陽暦」を改革しました


 この表は、西暦1582年10月1日(月)~10月24日(日)の月の天文学データです。(注:西暦1582年10月4日木曜日まで西暦の1年は365.25日です。)

 前項の一覧表を見ると、1年が365.25日の「ユリウス暦」の15821004(木)から1年が365.2425日の「グレゴリオ暦」の15821015(金)に飛んでいます。なぜならば、天文学者長谷川司氏が10日間を削除して「ユリウス暦」から「グレゴリオ暦」に変えたからです。従って、西暦8年、当時の学者は、1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」は1年が365.2425日の「古いグレゴリオ暦」に対して128年毎に1日の割合で日付が長くなることを知りません。
 だから西暦8年の「暦の改革」の際にユダヤ教の司祭たちは1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」を改革して「13日間」を削除したのです。
 私は、読者が理解しやすいように12月12日、13日、14日、15日、16日、17日、18日、19日、20日、21日、22日、23日、24日の「13日間」を削除しました。
 それでユダヤ教の司祭たちが「13日間」を削除して改革した1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」は12月25日が冬至になりました。
 12月25日(日)が冬至になりました。
 そして、26日(月)、27日(火)、28日(水)、29日(木)、30日(金)、31日(土)、西暦8年1月1日(日)になりました。
 西暦8年の1月1日が日曜日なのでローマ皇帝アウグストゥスは12月25日の日曜日が冬至になることに妥協したのです。
 暇つぶしに数学(?)に挑戦しよう!から〈ユリウス暦〉を引用しました。
 ユリウス暦はBC46年,ユリウス・カエサル(ローマ帝国のジュリアス・シーザー)によって制定された。1年を365日、4年に1回閏(うるう)年(1年を366日)とした。よって、ユリウス暦の1年は365.25日〈(365×3+366)÷4〉。実際の1年(太陽年)は365.2422日だから0.0078日(365.25-365.2422)=11分14秒 だけ長くなる。1年では高々11分14秒だが128年(1÷0.0078)で1日、1282年で10日もずれてくる。このずれが累積した結果,16世紀には実際の春分の日は3月11日に!AD325年のニケア宗教会議で3月21日と決められた春分の日が,実際の春分とかけ離れてきた。キリスト教最大のお祭り「復活祭(イースター)」は「春分の後の最初の満月からすぐの日曜日」とされていたが,正しい春分の日を基準としては祝えなくなってきたのだ。
 だから我々が生きていた(但し、私を含めて生きていた我々の人生は終わります。)21世紀に冬至の日付が12月25日(イエズス・キリストの誕生日)から12月21日~12月22日に変わったのです。
 こうしてユダヤ教の司祭、ローマ皇帝アウグストゥス、ローマ帝国の学者たち、西暦8年頃の人々の無知、つまり、1年が365.2425日の「古いグレゴリオ暦」に関する無知によって12月25日が冬至の1年が365.25日の「ユリウス暦」が誕生しました。
 ローマ皇帝アウグストゥスは「ユリウス暦」を西暦8年から開始しました。
 西暦8年に採用した1年が365.25日の「ユリウス暦」は西暦1582年に採用した1年が365.2425日の「グレゴリオ暦」の登場までは最も正確な「太陽暦」でした。
私は、第12章、「ご降誕」で1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の定理の応用編を解説しました。それで第12章の解説を参照してください。
 紀元前2558年頃の1月1日(日)の冬至にアブラハムの先祖は1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」を開始しました。
私は、言葉の定理のYに0から20を代入して「冬至の日付の変遷」一覧を作成しました。
1、Yが1つ増えるごとにそれぞれ128年が経過したことを意味しています。
2、Yが1つ増えるごとに冬至の日付が1月1日から1日ずつ長くなりました。
紀元前2558年(Y=0日)1月1日(日)が冬至です。
紀元前2430年(Y=1日)12月31日が冬至です。
紀元前2302年(Y=2日)12月30日が冬至です。
紀元前2174年(Y=3日)12月29日が冬至です。
紀元前2046年(Y=4日)12月28日が冬至です。
紀元前1918年(Y=5日)12月27日が冬至です。
紀元前1790年(Y=6日)12月26日が冬至です。
紀元前1662年(Y=7日)12月25日が冬至です。
紀元前1534年(Y=8日)12月24日が冬至です。
紀元前1406年(Y=9日)12月23日が冬至です。
紀元前1278年(Y=10日)12月22日が冬至です。出エジプト記モーセの時代です。
紀元前1150年(Y=11日)12月21日が冬至です。
紀元前1022年(Y=12日)12月20日が冬至です。
紀元前894年(Y=13日)12月19日が冬至です。
紀元前766年(Y=14日)12月18日が冬至です。
紀元前638年(Y=15日)12月17日が冬至です。
紀元前510年(Y=16日)12月16日が冬至です。
紀元前382年(Y=17日)12月15日が冬至です。
紀元前254年(Y=18日)12月14日が冬至です。
紀元前126年(Y=19日)12月13日が冬至です。
西暦2年(Y=20日)12月12日が冬至です。第12章の[3]を参照してください。
 西暦2年、紀元前5年は全て同じ範囲内で12月12日が冬至です。
 128年に1日の割合で日付が長くなることは「ノアの大洪水」以降、紀元前のどの世紀に開始した「太陽暦」であっても1年が365.25日の「太陽暦」が持っている宿命です。
 ローマ皇帝アウグストゥスが決定した1年が365.25日の「ユリウス暦」、つまり、「西暦」「キリスト紀元の暦」の閏年が西暦8年から新たに始まろうとしていました。
 1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の西暦4年、1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の日付がユダヤ教の祭りの日付と合致しませんでした。なぜならば、アブラハムの先祖が開始した1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の日付は1年が365.2425日の「古いグレゴリオ暦」よりも20日間長くなっていました。
 要するにアブラハムの先祖たちが紀元前2558年頃の1月1日(日)に開始した1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の冬至が西暦4年に「20日間」日付が長くなっていました。しかもローマ皇帝アウグストゥスは紀元前8年から「閏年」を4年に1度に改めて曜日をジュリアス・シーザーの時代と同じようにするために3回「閏年」を飛ばしました。
 次の表は「ローマ暦」の12月31日、それから1日増減した年度の一覧表です。
-45(日)-44(月)-43(火)-42(水)-41(金)-40(土)-39(日)
紀元前38年(火)-37(水)-36(木)紀元前35年(土)-34(日)-33(月)
紀元前32年(水)-31(木)-30(金)紀元前29年(日)-28(月)-27(火)
紀元前26年(木)-25(金)-24(土)紀元前23年(月)-22(火)-21(水)
紀元前20年(金)-19(土)-18(日)紀元前17年(火)-16(水)-15(木)
紀元前14年(土)-13(日)-12(月)紀元前11年(水)-10(木)-9(金)
-8(土)-7(日)-6(月)-5(火)-4(水)-3(木)-2(金)-1(土)1(日)
2(月)3(火)4(水)5(木)6(金)7(土)8(月)
 ローマの神官たちの愚かな決議で以下の紀元前の年号が1日長くなりました。
 紀元前38年、紀元前35年、紀元前32年、紀元前29年、紀元前26年、紀元前23年、紀元前20年、紀元前17年、紀元前14年、そして紀元前11年がそれぞれ1日長くなって合計10日間長くなりました。つまり、暦の一覧表で下に10日間移動しました。
 一方、皇帝アウグストゥスが閏年を3回廃止したので以下の年号が1日短くなりました。
紀元前5年、紀元前1年、西暦4年が1日短くなって、合計3日間短くなりました。
1日増加した閏年が10回です。1日減少した閏年が3回です。10- 3 = 7です。
①と②は同じ内容の定理です。なぜならば20=〈7+13〉です。
①、(-128×20)+2=-2558
②、(-128×〈7+13〉)+2=-2558
 -128:1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」は1年が365.2425日の「古いグレゴリオ暦」に対して128年毎に1日の割合で長くなりました。
私は〈7+13〉の〈7〉について解説しました。
 ローマ皇帝ジュリアス・シーザーが始めた「ローマ暦」が7日間長くなって冬至が12月25日(日)になりました。つまり、暦の一覧表で7日間下に移動しました。
 次に、私は〈7+13〉の〈13〉について解説しました。
 西暦8年、ユダヤ教の司祭たちは1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」を改革して「13日間」を削除しました。
 読者が理解しやすいように私は12月12日、13日、14日、15日、16日、17日、18日、19日、20日、21日、22日、23日、24日の「13日間」を削除しました。
 私は、1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」は1年が365.2425日の「古いグレゴリオ暦」に対して128年毎に1日の割合で長くなることを知りました。
 そして、西暦2004年11月20日、本章の第16章を推敲していた際に、私は、1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の定理の原型を作成しました。
(-128×20)=-2600
 西暦2004年11月20日、私は+2を定理に足し加えました。だが、7+13=20という数式をまだ見出していません。7と13を別個に黙想していました。そして私は紀元前2560年の「クザのピラミッド」の年代を見つけて①②の定理を作りました。
①、(-128×20)+2=-2558 ②、(-128×〈7+13〉)+2=-2558
 THE POEM OF THE MAN~GODの第30章、30. The Adoration of the Shepherds.
 マリア・ワルトルタ女史はイエズス・キリストが誕生した夜の場面で月を描写しました。
Later I see a very wide country. The moon is at its zenith and she is sailing smoothly in a sky crowded with stars. They look like diamond studs fixed to a huge canopy of dark blue velvet and the moon is smiling in the middle of them with her big white face, from which streams of light descend and make the earth white.
 訳:後ほど私は大変広い田舎を見ます。月は南中で、そして月は星々で混雑している空を滑らかに動いています。それらは暗い青色のビロードの巨大な天蓋に嵌め込まれたダイヤモンドの飾りボタンのように見えます。そして月は大きく白い顔でそれらの真ん中で微笑んでいます。その月からの光の流れは降り、そして大地を白くしています。
「イエズス・キリストの生年月日」を1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の月のデータで表現すると下記のようになります。
月の出12:43 月の南中19:53:28 月の没02:09 12時の月齢9.4
 月齢を午後8時(20時)に補正すると下記のようになります。
月の出12:43 月の南中19:53:28 月の没02:09 20時の月齢9.7
 次項の表は、1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前5年12月24日(日)~紀元前4年1月7日(日)の月の天文学データです。

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