Kindle版 イエズス・キリストの私生活と公生活 天文学データ

30%Off:「イエズス・キリストの私生活と公生活」「イエズスの王国」:本命は「祭日 祭日候補 祝日 祝日候補 年代順の一覧表」など。

12-2.「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前5年12月25日(月)、ご降誕

「イエズスの王国 天文学データ」を推敲しています。読み易く書き換えています。
私は、①~⑤の1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の定理を作成しました。
①、(-128×20)=-2600「定理の原型」
②、(-128×20)+2=-2558「定理の改良型」
③、(-128×〈7+13〉)+2=-2558「定理の改良型の分解型」
④、(-128×X)+2=?「定理の応用編」
「定理の応用編」の目的は「太陽暦」の開始年を理論的に解明することです。
⑤、1、2の「言葉の定理」は128年ごとの「冬至の日付の変遷」を確認するために作成しました。「言葉の定理」で重要なことは紀元後2年(Y=20日)に12月12日が冬至になったことです。


 以下は推敲前の本文です。来週後半に「イエズスの王国 天文学データ」の推敲を終える予定です。
[3]、次に、私が考案した1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の言葉による定理の応用編を解説しました。言葉による定理の応用編は下記1、2の言葉の定理です。
 1、2の言葉による定理は128年ごとの「冬至の日付の変遷」を確認するためでした。言葉による定理の応用編で重要なことは西暦2年(Y=20日)に12月12日が冬至になったことです。そして西暦2年(Y=20日)の範囲内(範囲は128年の幅)に第12章の解説の目的である基本中の基本、紀元前22年の「聖母マリアの誕生日」紀元前5年の「洗礼者ヨハネの誕生日」紀元前5年の「イエズス・キリストの誕生日」があるのです。
 私は、言葉の定理のYに0から20を代入して「冬至の日付の変遷」一覧を作成しました。
1、Yが1つ増えるごとにそれぞれ128年が経過したことを意味しています。
2、Yが1つ増えるごとに冬至の日付が1月1日から1日ずつ長くなりました。
紀元前2558年(Y=0日)1月1日(日)が冬至です。
紀元前2430年(Y=1日)12月31日が冬至です。
紀元前2302年(Y=2日)12月30日が冬至です。
紀元前2174年(Y=3日)12月29日が冬至です。
紀元前2046年(Y=4日)12月28日が冬至です。
紀元前1918年(Y=5日)12月27日が冬至です。
紀元前1790年(Y=6日)12月26日が冬至です。
紀元前1662年(Y=7日)12月25日が冬至です。
紀元前1534年(Y=8日)12月24日が冬至です。
紀元前1406年(Y=9日)12月23日が冬至です。
紀元前1278年(Y=10日)12月22日が冬至です。出エジプト記モーセの時代です。
紀元前1150年(Y=11日)12月21日が冬至です。
紀元前1022年(Y=12日)12月20日が冬至です。
紀元前894年(Y=13日)12月19日が冬至です。
紀元前766年(Y=14日)12月18日が冬至です。
紀元前638年(Y=15日)12月17日が冬至です。
紀元前510年(Y=16日)12月16日が冬至です。
紀元前382年(Y=17日)12月15日が冬至です。
紀元前254年(Y=18日)12月14日が冬至です。
紀元前126年(Y=19日)12月13日が冬至です。
西暦2年(Y=20日)12月12日が冬至です。
 西暦2年、紀元前5年は全て同じ範囲内で12月12日が冬至です。
 128年に1日の割合で日付が長くなることは「ノアの大洪水」以降、紀元前何年に開始した「太陽暦」であっても1年が365.25日の「太陽暦」が持っている宿命でした。
 128年に1日の割合で日付が長くなるので、私は、第4章の本文に(Y=20日)の結果を書きました。
 西暦2年(Y=20日)に12月12日が冬至になりました。第12章の[3]を参照。
マリアの両親、聖ヨアキムと聖アンナはマリアがヨゼフと婚約する前に亡くなりました。
 1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前7年12月12日は冬至です。
 奉殿記念祭の最終日、エルサレム神殿の大祭司が薦めたので1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前7年12月後半、ヨゼフがマリアと婚約しました。
 THE POEM OF THE MAN~GODの第12章、12.Joseph Is Appointed Husband of the Virgin.
 マリア・ワルトルタ女史は次のように書いていました。
 the last day of the Feast of Dedication
 つまり、奉殿記念祭の最終日、紀元前7年12月後半、エルサレムの神殿でヨゼフとマリアは婚約しました。マリアは15歳3ヶ月齢でした。両親は3年前に亡くなっていました。
 THE POEM OF THE MAN~GODの第12章、12.Joseph Is Appointed Husband of the Virgin.
 同じTHE POEM OF THE MAN~GODの第12章でヨゼフがマリアに言いました。
 “The days are getting longer and longer.”
 訳:「昼間は徐々に長くなっています。」
 それから、THE POEM OF THE MAN~GODの第12章でヨゼフがマリアに言いました。
 “For over three years the trees and vines have never been pruned and land untilled and hard.”
 訳:「3年以上、木々やブドウの木々は剪定されておらず、土地は耕されていないので固くなっています。」
 1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前7年12月後半、奉殿記念祭の最終日から数えて3年以上前にマリアの両親は亡くなっていました。だから私は次のように書きました。
 両親は3年前に亡くなっていました。
[4]、下記のAとBは同じ内容の定理です。
A、(-128×20)+2=-2558
Aの定理の数字の意味について私は既に[2] と[3]で解説しました。
B、(-128×〈7+13〉)+2=-2558
Bの定理の数字の意味について私は以下の[4]で解説しました。
 私は、読者が理解し易い順番で解説しました。但し、私が20年以上かけて黙想してきた順番は次の通りです。7→13→-128→+2→-2558
 つまり、西暦2004年10月20日、〈7と13〉が〈7+13=20〉になりました。
 以下、読者が理解し易い順番に解説しました。
-128:1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」は1年が365.2425日の「古いグレゴリオ暦」に対して128年毎に1日の割合で長くなりました。
7:ローマ皇帝ジュリアス・シーザーが始めた「太陽暦」が7日間長くなって冬至の日付が1月1日から12月25日(日)になりました。
13:西暦8年、ユダヤ教の司祭たちは1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」を改革して「13日間」を削除しました。(「13日間」を削除しましたという記事は私が立てた仮説です。西暦2002年、私はBの定理の〈7と13〉について熱心に黙想しました。)
+2:紀元前2560年1月1日は金曜日です。紀元前2559年1月1日は土曜日です。 紀元前2558年1月1日は日曜日です。だから冬至が日曜日になるように+2を付け加えて1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の定理を完成しました。
西暦2004年11月20日、+2を定理に追加しました。
+2については既に定理の原型で解説しました。
 これが最初に考案した定理の原型です。-128×20=-2560
 紀元前2560年1月1日は金曜日でした。
 紀元前2559年1月1日は土曜日でした。
 紀元前2558年1月1日は日曜日でした。
 5項前の一覧表の左側に2558日、つまり、紀元前2558年(日曜日)とあります。
-2558の意味:英語のWikipediaの記事に紀元前2560年の周囲の約20年と書いてありました。
 The Great Pyramid of Giza (called the Pyramid of Khufu and the Pyramid of Cheops) is the oldest and largest of the three pyramids in the Giza Necropolis bordering what is now EI Giza, Egypt. It is the oldest of the Seven Wonders of the Ancient World, and the only one to remain largest intact. Egyptologists believe that the pyramid was built as a tomb for fourth dynasty Egyptian Pharaoh Khufu (Cheops in Greek) over an approximately 20 year period concluding around 2560 BC.
 従って、メソポタミアのアブラハムの先祖は紀元前2558年頃の1月1日(日曜日)に1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」を開始しました。
 私は、Bの定理の〈7〉について結論を先に書きました。
 ローマ皇帝ジュリアス・シーザーが始めた「太陽暦」が7日間長くなって冬至の日付が1月1日から12月25日(日)になりました。
 それではBの定理(-128×〈7+13〉)+2=-2558の〈7〉を解説しました。
 西暦2000年、私は「暦を作った人々」を読みながら黙想しました。
 ディビィット・E・ダンカン氏は「暦を作った人々」に概略次のように書きました。
 紀元前45年、ジュリアス・シーザーは「ローマ暦」を導入して1月1日を日曜日で始めました。「ローマ暦」の1年は365.25日です。
 シーザーは1月から12月までに31日と30日を交互に配置しました。
 平年を365日にするために2月を29日にしました。
 そして4年に1度の「閏年」を設けて「閏年」の2月を30日にしました。
 紀元前44年、ブルータスがシーザーを暗殺しました。するとローマの神官たちは紀元前38年から「閏年」を3年に1度に改悪しました。それで紀元前38年から紀元前9年まで、ローマの神官たちは4年に1度の「閏年」を3年に1度の「閏年」に改悪しました。
その矛盾に気付いた皇帝アウグストゥスは「ローマ暦」を改革しました。
 アウグストゥスは紀元前8年から「閏年」を4年に1度に改めて、曜日をジュリアス・シーザーの時代と同じくするために3回「閏年」を飛ばしました。
 次の表は「ローマ暦」の12月31日、それから1日増減した年度の一覧表です。
-45(日)-44(月)-43(火)-42(水)-41(金)-40(土)-39(日)
紀元前38年(火)-37(水)-36(木)紀元前35年(土)-34(日)-33(月)
紀元前32年(水)-31(木)-30(金)紀元前29年(日)-28(月)-27(火)
紀元前26年(木)-25(金)-24(土)紀元前23年(月)-22(火)-21(水)
紀元前20年(金)-19(土)-18(日)紀元前17年(火)-16(水)-15(木)
紀元前14年(土)-13(日)-12(月)紀元前11年(水)-10(木)-9(金)
-8(土)-7(日)-6(月)-5(火)-4(水)-3(木)-2(金)-1(土)1(日)
2(月)3(火)4(水)5(木)6(金)7(土)8(月)
 ローマの神官たちの愚かな決議で以下の紀元前の年号が1日長くなりました。
 紀元前38年、紀元前35年、紀元前32年、紀元前29年、紀元前26年、紀元前23年、紀元前20年、紀元前17年、紀元前14年、そして紀元前11年がそれぞれ1日長くなって合計10日間長くなりました。
 一方、皇帝アウグストゥスが閏年を3回廃止したので以下の年号が1日短くなりました。
紀元前5年、紀元前1年、西暦4年が1日短くなって、合計3日間短くなりました。
 1日増加した閏年が10回です。1日減少した閏年が3回です。10- 3 = 7です。
 結論は、暦の一覧表で7日間下に移動しました。とても難解な〈7〉の問題でした。
 ローマ皇帝ジュリアス・シーザーが始めた「太陽暦」が7日間長くなって冬至の日付が1月1日から12月25日(日)になりました。私は、〈7〉の結論を既に書きました。
[5]、私は、Bの定理の〈13〉について結論を先に書きました。
〈7〉の結論が出た西暦2002年1月以降、私は〈13〉について熱心に黙想しました。
西暦8年にユダヤ教の司祭たちは1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」を改革して「13日間」を削除しました。
 それではBの定理(-128×〈7+13〉)+2=-2558の〈13〉を解説しました。
ユダヤ教の司祭たちはローマ皇帝アウグストゥスの「ローマ暦」の改革に従いました。
 その当時の学者たちは1年が365.2425日の「古いグレゴリオ暦」の概念、つまり、西暦1582年、ローマ法王聖グレゴリオ13世が採用した1年が365.2425日の「グレゴリオ暦」の概念を知りません。しかも1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」は1年が365.2425日の「古いグレゴリオ暦」に対して128年毎に1日の割合で長くなることも知りません。なぜならば、西暦1582年、ローマ法王聖グレゴリオ13世がグレゴリオ暦をようやく採用したからです。だから西暦8年、ユダヤ教の司祭たちは1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」を改革して「13日間」を削除しました。
 ユダヤ教の司祭たちが「13日間」を削除したのは会計年度の2月だと思います。しかし、読者が理解しやすいように私は12月12日、13日、14日、15日、16日、17日、18日、19日、20日、21日、22日、23日、24日の「13日間」を削除しました。
 それで、ユダヤ人たちが改革した1年が365.25日の「ユダヤ人の新しい太陽暦」、つまり、「ユリウス暦」別名「西暦」は12月25日が冬至になりました。
 12月25日(日)が冬至です。26日(月)、27日(火)、28日(水)、29日(木)、30日(金)、31日(土)、西暦8年1月1日(日)になりました。
 従って、ユダヤ教の司祭たち、ローマ皇帝アウグストゥス、ローマ帝国の学者たち、また、西暦8年頃の人々の無知によって冬至が12月25日になった1年が365.25日の「ユリウス暦」別名「西暦」が誕生しました。
 西暦1582年、ローマ法王聖グレゴリオ13世は1年が365.2425日の「グレゴリオ暦」をようやく採用しました。カトリック教会の天文学者たちが300年以上に亘ってローマ法王に1年が365.2425日の「グレゴリオ暦」を採用するように進言していたからです。これにはギリシャ正教会との分離問題が深くかかわっていると私は思います。
 西暦8年、ユダヤ教の司祭たちは1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」を改革して「13日間」を削除しました。「20日間」を削除したならば1月1日が冬至でした。
 原始カトリック教会は「イエズス・キリストの誕生日」を12月25日と主張します。
 従って、「イエズス・キリストの生年月日」を1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前5年12月25日(月)の月のデータで表現すると下記のようになります。
月の出12:43 月の南中19:53:28 月の没02:09 12時の月齢9.4
 日没後の月齢を午後8時(20時)に補正すると下記のようになります。
月の出12:43 月の南中19:53:28 月の没02:09 20時の月齢9.7
 原始ギリシャ正教会はカトリック教会から分離する頃に「イエズス・キリストの誕生日」を西暦1582年から採用される365.2425日の「グレゴリオ暦」の1月7日と確定していました。だから原始ギリシャ正教会は「イエズス・キリストの誕生日」を1月7日と主張します。(注:西暦1582年10月4日木曜日まで西暦の1年は365.25日です。)
「イエズス・キリストの生年月日」を1年が365.2425日の天文学データの「グレゴリオ暦」の紀元前4年1月7日(月)の月のデータで表現すると下記のようになります。
月の出12:43 月の南中19:53:28 月の没02:09 12時の月齢9.4
 日没後の月齢を午後8時(20時)に補正すると下記のようになります。
月の出12:43 月の南中19:53:28 月の没02:09 20時の月齢9.7
 私は、結論部分の[6]で基本中の基本の「聖母マリアの誕生日」「洗礼者ヨハネの誕生日」「イエズス・キリストの誕生日」を解説しました。その際に極めて重要なのはマリア・ワルトルタ女史が見た「3名の誕生日(生年月日)」に関連するビジョンの月齢です。
[6]、天文学者の長谷川司氏の月の出、南中、月の没、月齢の天文学データhttp://star.gs/ は正確でした。2000年前の天文学データなのに1秒の狂いもありませんでした。
 私が日付を確定する典型的な方法を解説しました。
 THE POEM OF THE MAN~GODを書いたマリア・ワルトルタ女史は「聖母マリアの誕生」「洗礼者ヨハネの誕生前日」「イエズス・キリストの誕生」で本物の月のビションを書きました。
 2000年前の月のビジョンなのに1秒の狂いもありません。1年で1秒の狂いがあれば2000年で2000秒の狂いが生じます。2000年で33分以上の狂いを生じるのです。
 斜字が「聖母マリアの誕生日」「洗礼者ヨハネの誕生日の前日」「イエズス・キリストの誕生日」の本物の月のビジョンのデータです。2000年前の本物の月の天文学データです。
①、「聖母マリアの誕生日」の「9月8日」に関係する天文学データです。
「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前24年9月8日(月)
出20:23 南 2:54:36 没10:08 月齢19.2
「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前23年9月8日(火)
出05:32 南11:42:38 没17:45 月齢0.3
「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前22年9月8日(水):聖母マリアの本当の誕生日です。
出15:41 南21:04:53 没01:24 月齢11.2
「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前21年9月8日(金)
出――:―― 南06:34:23 没13:53 月齢23.2
「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前20年9月8日(土)
出09:19 南14:34:55 没17:45 月齢4.4
 THE POEM OF THE MAN~GODの第5章、5. Birth of the Virgin Mary.
 ワルトルタ女史は、聖母マリアの誕生日はSeptember「9月」と書いていました。
 聖母マリアが誕生した夕方、農夫が言いました。
 “And the moon, over there, is a full moon, three days early.”
 訳:「そしてあちらの月は満月です。3日早いが。」
 聖母マリアは1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」を改革する以前に誕生しました。だから天文学のデータで「13日後」の1年が365.2425日の「古いグレゴリオ暦」に戻らなければなりません。それで1年が365.2425日の「古いグレゴリオ暦」の紀元前22年9月21日(水)がその日に該当しました。
 だが、1年が365.2425日の「古いグレゴリオ暦」の紀元前22年9月21日(水)は歴史上には存在しない日付です。歴史上に存在していた「聖母マリアの生年月日」は1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前22年9月8日(水)でした。
「聖母マリアの誕生日」を天文学の月のデータで表現すると○印のデータになりました。

 一覧表の右側に「削除13日間」と縦書きで書いて、✖(バツ)1~✖13、それから○と書きました。それでは表の見方を書きます。斜線の通りに読みます。
「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前22年9月8日(水):聖母マリアの本当の誕生日です。
月の出15:41 月の南中21:04:53 月の没01:24 12時の月齢11.2
②、「洗礼者ヨハネの誕生日の前日」の「6月23日」に関係する天文学データです。
「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前7年6月23日(月)
出13:31 南19:08:12 没00:05 月齢8.7
「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前6年6月23日(火)
出22:45 南04:01:40 没09:53 月齢19.6
「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前5年6月23日(木):洗礼者ヨハネの誕生日前日です。
出05:56 南13:13:57 没20:25 月齢1.9
「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前4年6月23日(金)
出16:38 南21:33:29 没01:34 月齢12.9
「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前3年6月23日(土)
出23:60 南06:04:34 没12:53 月齢23.5
「洗礼者ヨハネの誕生日」を天文学の月のデータで表現すると○印のデータになりました。

 一覧表の右側に「西暦8年の暦の改革以前は13日間削除」と縦書きで書きました。そして、✖(バツ)1~✖13、それから○と書きました。表の見方は斜線の通りに読みます。
「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前5年6月23日(木):洗礼者ヨハネの誕生日前日です。
前日の月の出05:56 前日の月の南中13:13:57 前日の月の没20:25 前日の12時の月齢1.9
 その翌日が実際の洗礼者ヨハネの誕生日なのでその翌日の天文学データを書きます。
「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前5年6月24日(金):洗礼者ヨハネの誕生日です。
月の出06:54 月の南中13:59:45 月の没20:58 12時の月齢2.9
 THE POEM OF THE MAN~GODの第23章、23. The Birth of the Baptist.
 ワルトルタ女史は「それは美しい夏の夕方」と書いていました。そしてワルトルタ女史は、「洗礼者ヨハネの誕生日の前日」のビジョンで次のように月を描写しました。
 It is a beautiful summer evening, still clear in the last rays of the sun, and yet the sky is already decorated with a falcate moon that looks like a silver comma attached to large deep blue cloth.
 訳:それは美しい夏の夕方、まだ太陽の最後の光線は明瞭で、そしてまだ空は大きな深く青い布に接する銀色のコンマのように見える上弦の三日月で既に飾られています。
 ワルトルタ女史が「洗礼者ヨハネの誕生日の前日」のビジョンで見た月は「大きな深く青い布に接する銀色のコンマのように見える上弦の三日月」でした。
 洗礼者ヨハネは1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」を改革する以前に誕生しました。だから天文学のデータで「13日後」の1年が365.2425日の「古いグレゴリオ暦」に戻らなければなりません。それで1年が365.2425日の「古いグレゴリオ暦」の紀元前5年7月7日(金)がその日に該当しました。
 だが、1年が365.2425日の「古いグレゴリオ暦」の紀元前5年7月7日(金)は歴史上には存在しない日付です。歴史上に存在していた「洗礼者ヨハネの生年月日」は1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前5年6月24日(金)でした。
③、「イエズス・キリストの誕生日」の「12月25日」に関係する天文学データです。
「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前7年12月25日(木)
出17:27 南――:――:―― 没07:27 月齢16.1
「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前6年12月25日(金)
出04:43 南09:39:07 没14:33 月齢27.5
「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前5年12月25日(月):イエズスの本当の誕生日です。
出12:43 南19:53:28 没02:09 月齢9.4
「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前4年12月25日(月)
出22:19 南03:47:45 没10:02 月齢19.8
「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前3年12月25日(火)
出07:27 南12:35:31 没17:49 月齢0.9
 THE POEM OF THE MAN~GODの第30章、30. The Adoration of the Shepherds.
 ワルトルタ女史はイエズス・キリストが誕生した夜の場面で次のように月を描写しました。
 Later I see a very wide country. The moon is at its zenith and she is sailing smoothly in a sky crowded with stars. They look like diamond studs fixed to a huge canopy of dark blue velvet and the moon is smiling in the middle of them with her big white face, from which streams of light descend and make the earth white.
 訳:後ほど私は大変広い田舎を見ます。月は南中で、そして月は星々で混雑している空を滑らかに動いています。それらは暗い青色のビロードの巨大な天蓋に嵌め込まれたダイヤモンドの飾りボタンのように見えます。そして月は大きく白い顔でそれらの真ん中で微笑んでいます。その月からの光の流れは降り、そして大地を白くしています。
「イエズスの誕生日」を天文学の月のデータで表現すると○印のデータになりました。

 私は、上記の月の一覧表の見方を説明しました。
 一覧表の右側に「西暦8年の暦の改革以前は13日間削除」と縦書きで書きました。そして✖(バツ)1~✖13、それから○と書きました。表の見方は斜線の通りに読みます。
「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前5年12月25日(月):イエズスの本当の誕生日です。
月の出12:43 月の南中19:53:28 月の没02:09 12時の月齢9.4
イエズス・キリストは1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」を改革する以前に誕生しました。だから天文学のデータで「13日後」の1年が365.2425日の「古いグレゴリオ暦」(上の一覧表で13日間下の○印が「イエズス・キリストの誕生日」の月の天文学データです。)に戻らなければなりません。それで1年が365.2425日の「古いグレゴリオ暦」の紀元前4年1月7日(月)がその日に該当しました。だが、1年が365.2425日の「古いグレゴリオ暦」の紀元前4年1月7日(月)は歴史上には存在しない日付です。歴史上に存在していた「イエズスの誕生日」は1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前5年12月25日(月)です。
「イエズス・キリストの誕生日」を1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の月のデータで表現すると下記のようになります。
月の出12:43 月の南中19:53:28 月の没02:09 12時の月齢9.4
 日没後の月齢を午後8時(20時)に補正すると下記のようになります。
月の出12:43 月の南中19:53:28 月の没02:09 20時の月齢9.7

 THE POEM OF THE MAN~GODの第132章、132. Jesus at the Clear Water. Closure.
 イエズス・キリストがペトロたちに教えました。
 “Do you know that I was born on the twenty-fifth of Chislev?”
 訳:「あなたがたはわたしがChislevの25日に誕生したことを知っていますか。」
 THE POEM OF THE MAN~GODの第73章、73. Jesus at Bethlehem in the Peasant’s House and in the Grotto.
 ベツレヘムの御降誕の洞穴でイエズスは3人の弟子たちに御自分の誕生日を教えました。
 “My friends, here the night of the twenty-fifth of Chislev, Feast of the Lights, Jesus Christ, was born of the Virgin, the Immanuel, the Word of God made flesh, for the love of man: I Who am speaking to you.”
 Chislevはユダヤ暦の教会年の9番目です。4月から始まるので9番目は12月です。
 訳:「わたしの友たちよ。ここで12月(Chislev)の25日の夜、光の祭りにイエズス・キリストは乙女から生まれました。インマニエル、神のみことばは肉体を創りました。人間への愛のために。あなたがたに話しているわたしです。」


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