Kindle版 イエズス・キリストの私生活と公生活 天文学データ

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12.「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前5年12月25日(月)、ご降誕

12.「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前5年12月25日(月)、ご降誕


 皇帝アウグストゥスは紀元前27年から西暦14年にかけてのローマ皇帝でした。
 世界が平和だったので皇帝アウグストゥスは勅令を発布して全世界の人々は戸籍を登録するように命令しました。この登録はクレニオがシリア総督の時に行なわれた最初の人口調査でした。それで人々は戸籍を登録するために先祖の故郷に戻りました。(ルカ2:1-4)
 1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前5年12月12日(月)は冬至でした。(本章の第12章[3] の解説を参照してください。)
 1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前5年12月中旬、ナザレトの会堂玄関に人口調査の勅令が張り出されたのでヨゼフがその勅令を読みました。
 イスラエルは10月~3月までは雨季です。11月~1月は寒くて降水量も多かった。聖母マリアは妊娠という特殊な事情があったので旅を延期することも出来ました。だが、聖母マリアがヨゼフを説得して彼らはベツレヘムへ旅立ちました。
 1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前5年12月21日(木)、日の出は午前6時44分でした。ダビド家とその血筋に属していたヨゼフは登録するために身ごもっていたマリアを伴ってガリラヤの町ナザレトからベツレヘムというダビドの町に向かいました。(ルカ2:4-5)
「ご降誕」はロザリオの祈り「喜びの玄儀」の第3玄儀です。
 1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前5年12月24日(日)、午後0時43分に月齢9.4の月が昇りました。その午後、ヨゼフとマリアはベツレヘムにやって来て羊飼いから宿の情報を得ました。そのとき聖母マリアが産気づいたのでヨゼフは焦って民家の戸を叩いて宿を願いました。だが、全ての民家が彼らを拒みました。ベツレヘムの宿屋の主人も彼らを拒みました。
 真冬の太陽は午後4時53分に沈みました。ユダヤ人は日没から彼らの1日を計算するので日付が変わって、日付と曜日が翌日に変わりました。
 1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前5年12月25日(月)(「イエズスの誕生日」12月25日はカトリック教会の祭日)、彼らは山に掘られた家畜小屋に辿り着きました。聖母マリアは17歳3ヶ月17日齢でした。
 午後0時43分から月齢が0.3進みました。
 月齢9.7の大きな月が午後7時53分28秒に南中しました。その寒い夜、聖母マリアのお産の日が満ちて男の初子を産みました。
 聖母マリアはその子を布にくるみ飼い葉桶に寝かせました。ベツレヘムの宿屋には彼らのための場所がなかったからです。(ルカ2:6-7)
 大きな月が中天に差しかかった午後8時、神が遣わしたので大天使ガブリエルがベツレヘムの羊飼いの所に飛んで来ました。大天使ガブリエルは羊飼いの傍に立って主の栄光が彼らを覆ったので羊飼いたちは非常に恐れました。
 大天使ガブリエルは羊飼いに言いました。(ルカ2:8-16)
「恐れることはない。私は全ての民に与えられる大きな喜びをあなたがたに告げよう。きょうダビドの町にあなたがたのために救い主がお生まれになった。この御方こそメシアである。あなたがたは飼い葉桶に寝かされた乳飲み子を見るであろう。それがあなたがたに与えられるしるしである。」
 数百万の天使たちが月齢9.7の大きな月の傍らに現われて神の栄光を賛美しました。
「いと高き天には神に栄光!地上では善意の人々に平和あれ!」
「栄光の賛歌」を歌い終えると数百万(oh! How many)の天使は天国に昇って行きました。
 羊飼いたちは言いました。
「さあ、ベツレヘムに行って主が知らせてくださった出来事を見てこようではないか。」
 羊飼いたちは、聖母マリア、聖ヨゼフ、飼い葉桶に寝ていた乳飲み子を捜し当てました。
 一方、遠い国で3人の博士たちが不思議な星の研究に没頭していました。
 聖母マリアの年齢は、「ご降誕」の1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前5年12月25日(月)から「聖母マリアの生年月日」の1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前22年9月8日(水)を差し引いて計算しました。
「イエズス・キリストの生年月日」は、メソポタミアに住んでいたアブラハムの先祖が紀元前2558年頃の1月1日(日曜日)の冬至に始めた1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前5年12月25日(月)でした。
 私は「イエズス・キリストの生年月日」の下記の6項目について解説しました。
①、メソポタミアに住んでいたアブラハムの先祖が紀元前2558年頃の1月1日(日曜日)の冬至に始めた ②、1年が365.25日の ③、ユダヤ人の ④、古い太陽暦の
⑤、紀元前5年 ⑥、12月25日(月曜日)
私は上記の6項目について解説しました。
①、メソポタミアに住んでいたアブラハムの先祖が紀元前2558年頃の1月1日(日曜日)の冬至に始めた
①、メソポタミアに住んでいたアブラハムの先祖が紀元前2558年頃の1月1日(日曜日)の冬至に始めたという意味は、古代都市メソポタミアで紀元前2558年頃の1月1日(日曜日)の冬至にアブラハムの先祖が始めた「太陽暦」という意味です。
 私は、1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」を下記のように定理しました。
(-128×20)+2=-2558
(-128×〈7+13〉)+2=-2558
(-128×X)+2=?
 これから1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」について解説します。
 まず、定理の数式の(-128×20)について解説します。
 最も優れた暦は1年が365.2425日の「グレゴリオ暦」です。だが、「グレゴリオ暦」を採用するために人類は「グレゴリオ暦」の概念が完成した西暦1582年を待たねばなりませんでした。1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前2558年1月1日は日曜日の冬至でした。
 128年に1日の割合で日付が長くなることは「ノアの大洪水」以降、紀元前のどの世紀に開始した「太陽暦」でも1年が365.25日の「太陽暦」が持っている宿命でした。
 1年が365.2425日の「古いグレゴリオ暦」の紀元前2558年1月1日は日曜日の冬至でした。しかし、下の一覧表の1年が365.2425日の「古いグレゴリオ暦」は歴史上には存在しない暦です。1年が365.2425日の「古いグレゴリオ暦」は私が本書の執筆のために命名した暦です。
 下の一覧表を見ると紀元前2558年1月1日は日曜日の冬至でした。
 この太陽暦の一覧表を参照してください。-25580101は日曜日の冬至です。

 引き続いて定理の(-128×20)、それから(-128×X)について解説します。
 下記の1、2の言葉の定理は128年ごとの冬至の日付の変遷を確認するためのものです。
 言葉による定理の応用編で重要なことは西暦2年(Y=20日)に12月12日が冬至になったことです。私は、言葉の定理のYに0から20を代入して冬至の日付が変遷していく一覧表を作成しました。
1、Yが1つ増えるごとにそれぞれ128年が経過したことを意味しています。
2、Yが1つ増えるごとに冬至の日付が1月1日から1日ずつ長くなりました。
紀元前2558年(Y=0日)1月1日(日)が冬至です。
紀元前2430年(Y=1日)12月31日が冬至です。
紀元前2302年(Y=2日)12月30日が冬至です。
紀元前2174年(Y=3日)12月29日が冬至です。
紀元前2046年(Y=4日)12月28日が冬至です。
紀元前1918年(Y=5日)12月27日が冬至です。
紀元前1790年(Y=6日)12月26日が冬至です。
紀元前1662年(Y=7日)12月25日が冬至です。
紀元前1534年(Y=8日)12月24日が冬至です。
紀元前1406年(Y=9日)12月23日が冬至です。
紀元前1278年(Y=10日)12月22日が冬至です。
紀元前1150年(Y=11日)12月21日が冬至です。
紀元前1022年(Y=12日)12月20日が冬至です。
紀元前894年(Y=13日)12月19日が冬至です。
紀元前766年(Y=14日)12月18日が冬至です。
紀元前638年(Y=15日)12月17日が冬至です。
紀元前510年(Y=16日)12月16日が冬至です。
紀元前382年(Y=17日)12月15日が冬至です。
紀元前254年(Y=18日)12月14日が冬至です。
紀元前126年(Y=19日)12月13日が冬至です。
西暦2年(Y=20日)12月12日が冬至です。第12章の[3]を参照してください。
西暦2年、紀元前5年は全て同じ範囲内で12月12日が冬至です。
 1年が365.25日の「太陽暦」が持っている宿命は下の月齢の一覧表で理解できます。
 黄色の蛍光色15821004(木)の翌日は15821015(金)になっています。
(注:西暦1582年10月4日木曜日まで西暦の1年は365.25日です。)
②、1年が365.25日の
②、1年が365.25日という意味は1年が365.25日の「太陽暦」という意味です。
 エジプト第4王朝のファラオであるクフの大ピラミッドが完成した紀元前2558年頃は「太陽暦」の1年は365.25日というのは古代都市の天文学者の間では常識でした。
③、ユダヤ人の
③、ユダヤ人という意味は、エジプト人、ギリシャ人、ローマ人、インド人、中国人、朝鮮人、日本人などが採用した暦ではないという意味です。
④、古い太陽暦の
④、古い太陽暦という意味は、西暦8年以前、暦の改革以前の「太陽暦」という意味です。
 従って、次のような暦ではありません。
A、ユダヤ教の「古い太陰太陽暦」ではありません。
ユダヤ教の「古い太陰太陽暦」は西暦8年の暦の改革以前にユダヤ人が使用していた「太陰太陽暦」です。ユダヤ教の「古い太陰太陽暦」の通年は1年が29.5日×12ヶ月です。
従って、1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」と比較すると1年で11日と4分の1日の誤差を生じました。
ユダヤ教の「太陰太陽暦」を「イエズスの私生活」で採用すると原始カトリック教会暦と原始ギリシャ正教会暦がそれぞれ「13日間」異なっている根拠を上手く説明できません。なぜならば、曜日が1ヶ月に1日の割合でズレるからです。
 従って、「洗礼者ヨハネの誕生日:6月24日」「聖母マリアの誕生日:9月8日」「イエズス・キリストの誕生日:12月25日」の3つの日付をユダヤ教の「古い太陰太陽暦」で説明すると原始カトリック教会暦と原始ギリシャ正教会暦の曜日が異なってしまうのです。なぜならば、原始ギリシャ正教会暦は1年が365.25日の「ユリウス暦」です。だから曜日が違わないようにするには原始カトリック教会暦も1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」でなければなりません。
B、天文学データの1年が365.2425日の「古いグレゴリオ暦」ではありません。
天文学データの1年が365.2425日の「古いグレゴリオ暦」は西暦8年の暦の改革以前は歴史上に存在しません。私が本書の執筆のために創作して命名した便宜上の暦です。
原始ギリシャ正教会、それから原始ロシア正教会は1年が365.2425日の「古いグレゴリオ暦」の日付を採用していたと私は思います。但し、20年前に私がYahoo掲示板で得た情報では、原始ギリシャ正教会の信者が「ユリウス暦」を採用したと主張していました。
これらは原始ギリシャ正教会の説です。「洗礼者ヨハネの誕生日:ユリウス暦の7月7日」「聖母マリアの誕生日:ユリウス暦の9月21日」「イエズス・キリストの誕生日:ユリウス暦の1月7日」
C、西暦8年以降の「太陽暦」ではありません。西暦8年以降は1年が365.25日の「ユリウス暦」、つまり「西暦」です。
D、西暦8年以降の改革後のユダヤ教の「太陰太陽暦」ではありません。
西暦8年、ユダヤ教の司祭たちは「太陽暦」と「太陰太陽暦」を改革しました。
ユダヤ教の「太陰太陽暦」は19年毎に閏月を加えました。だから閏月の年は13ヶ月になりました。代表的な閏月の年は少年イエズスが成人式の試験を受けた西暦8年~9年、それからイエズス・キリストの公生活1年目の西暦27年などです。
 この一覧表は、私が、1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の定理を制作して「イエズス・キリストの生年月日」を確定した頃のメモです。
⑤、紀元前5年
⑤、紀元前5年という意味は、1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前5年という意味です。だから「イエズス・キリストの誕生日」は、紀元前7年、紀元前6年、紀元前4年、紀元前3年、紀元前2年、紀元前1年、西暦元年(1年)ではありません。
 西暦0年は存在しません。なぜならば、その当時は0の概念がなかったのです。
⑥、12月25日(月曜日)
⑥、12月25日(月曜日)の(月曜日)という意味は、ユダヤ人は彼らの1日を日没から計算したので日曜日の日没後の月曜日という意味です。
 その当時、ユダヤ人たちは七曜日を次のように呼びました。
 週の初めの日、2日目、3日目、4日目、5日目、6日目、安息日と呼びました。
 私は、次項からの[1]~[5]で、1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の定理について詳しく解説しました。そして結論部分の[6]で、「聖母マリアの誕生日」「洗礼者ヨハネの誕生日」「イエズス・キリストの誕生日」を解説しました。
 その際に極めて重要なのはマリア・ワルトルタ女史が見た「聖母マリアの誕生日」「洗礼者ヨハネの誕生日前日」「イエズス・キリストの誕生日」のビジョンに描いた月齢です。
 THE POEM OF THE MAN~GODの第5章、5. Birth of the Virgin Mary.
 ワルトルタ女史自身は、聖母マリアの誕生日はSeptember「9月」と書いていました。
 それから次のように書いていました。
 聖母マリアが誕生した夕方、農夫が言いました。
 “And the moon, over there, is a full moon, three days early.”
 訳:「そしてあちらの月は3日満月です。3日早いが。」
 THE POEM OF THE MAN~GODの第23章、23. The Birth of the Baptist.
 ワルトルタ女史は「洗礼者ヨハネの誕生日の前日」を「それは美しい夏の夕方」と書いていました。それから「洗礼者ヨハネの誕生日の前日」のビジョンで次のような月を描写しました。
 It is a beautiful summer evening, still clear in the last rays of the sun, and yet the sky is already decorated with a falcate moon that looks like a silver comma attached to large deep blue cloth.
 訳:それは美しい夏の夕方、まだ太陽の最後の光線は明瞭で、そしてまだ空は大きな深く青い布に接する銀色のコンマのように見える上弦の三日月で既に飾られています。
 ワルトルタ女史が「洗礼者ヨハネの誕生日の前日」のビジョンで見た月は「大きな深く青い布に接する銀色のコンマのように見える上弦の三日月」でした。
 従って、「洗礼者ヨハネの生年月日」はその翌日の1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の紀元前5年6月24日(金)でした。
 THE POEM OF THE MAN~GODの第30章、30. The Adoration of the Shepherds.
 ワルトルタ女史はイエズス・キリストが誕生した夜の場面で次のような月を描写しました。
 Later I see a very wide country. The moon is at its zenith and she is sailing smoothly in a sky crowded with stars. They look like diamond studs fixed to a huge canopy of dark blue velvet and the moon is smiling in the middle of them with her big white face, from which streams of light descend and make the earth white.
 訳:後ほど私は大変広い田舎を見ます。月は南中で、そして月は星々で混雑している空を滑らかに動いています。それらは暗い青色のビロードの巨大な天蓋に嵌め込まれたダイヤモンドの飾りボタンのように見えます。そして月は大きく白い顔でそれらの真ん中で微笑んでいます。その月からの光の流れは降り、そして大地を白くしています。
 それら3つのビジョンの月齢は第12章の解説の基本中の基本です。私は、結論部分の[6]で基本中の基本の3つのビジョンの月齢を詳しく解説しました。
 私は、第12章の解説の導入部分を終了しました。
 次項からの[1]~[5]で、私は、1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の定理に ついて詳しく解説しました。
(-128×20)+2=-2558
(-128×〈7+13〉)+2=-2558
(-128×X)+2=?
[1]、メソポタミアに住んでいたアブラハムの先祖が紀元前2558年[頃]の1月1日(日)の冬至に開始した1年が365.25日の「太陽暦」を、私は、1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」と命名しました。ただ単に「太陽暦」と書いただけではその「太陽暦」は1年が365.25日なのか、それとも1年が365.2425日なのかを判断できません。しかも紀元前何年に開始した「太陽暦」なのかも不明です。だから面倒でも私は、1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」と書きました。その方が「太陽暦」について読者に誤解を与えることがなくて、1年が365.25日なのか、それとも1年が365.2425日なのかの注釈が不要になります。
 旧約時代、1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」はほぼ完成された「太陽暦」でした。1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」を凌ぐ正確な暦はローマ法王聖グレゴリオ13世が西暦1582年から採用した1年が365.2425日の「グレゴリオ暦」です。(注:西暦1582年10月4日木曜日まで西暦の1年は365.25日です。)
 結論を先に言うと、紀元前2558年頃から西暦7年に採用した1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」は、架空なのですが、同時に採用した1年が365.2425日の「古いグレゴリオ暦」と比較すると128年毎に1日の割合で日付が長くなりました。
 128年に1日の割合で日付が長くなることは「ノアの大洪水」以降、紀元前何年に開始した「太陽暦」でも1年が365.25日の「太陽暦」が持っていた宿命でした。
[2]、西暦2004年11月20日、私は、1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の定理を作成しました。(-128×20)+2=-2558
 この表で、私は1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の開始年を調べました。

 最初に、私は、1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の定理の原型から解説しました。これが最初に考案した定理の原型です。
 -128×20=-2560
 紀元前2560年1月1日は金曜日でした。
 紀元前2559年1月1日は土曜日でした。
 紀元前2558年1月1日は日曜日でした。前項の一覧表の左側に2558日とあります。
 天文学者長谷川司氏のウェブサイトhttp://star.gs/ ☆出没南中時刻:太陽・月・惑星で調べると紀元前2558年1月1日(日曜日)は冬至でした。
 冬至の曜日が日曜日になるように定理の原型を改良して、私は、1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の定理を考案しました。
(-128×20)+2=-2558
 上記の改良型の定理の意味は次の通りです。
 アブラハムの先祖は1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」を紀元前2558年頃の1月1日(日曜日)の冬至に開始しました。それで私は、期待、不安、焦燥が入り混じった奇妙な感情でインターネットの世界史年表の紀元前2558年を検索しました。その結果、私は、「ギザの大ピラミッド」の記事①②の記事をWikipediaで見つけました。
 それから数年後でしたが英語版の記事③をWikipediaで見つけました。
①、ギザの大ピラミッド〔Great Pyramid of Giza〕とはピラミッド建築の頂点とされるクフ王のピラミッドのことです。エジプトのギザに建設されました。世界の七不思議で唯一現存する建築物です。このピラミッドはエジプト第4王朝のファラオ、クフ王の墳墓として紀元前2540年頃に20年以上かけて建築されたと考えられます。
②、ギザのクフの大ピラミッドを建築したクフ王は紀元前2589年から紀元前2566年までのエジプト第4王朝のファラオでした。エジプト人たちはクフの大ピラミッドを約20年で建設しました。
 前項の一覧表はhttp://star.gs/ ☆出没南中時刻:太陽・月・惑星で1月1日の冬至の曜日を検索した際のコピーです。私が一覧表の左の欄に書いたように紀元前2558年の冬至の曜日は日曜日でした。前項の一覧表の左側に2558日とあります。
 私は、日本語の2つの記事を読んだ時に、紀元前2558年頃、「クフの大ピラミッド」が完成したのだと理解しました。前項の一覧表の左側に2559、2560と曜日を付さない年号があります。私は、紀元前2558年頃、「クフの大ピラミッド」が完成したと理解したのでその一覧表は十分な使命を果たしました。
③、数年が経過しました。英語のWikipediaで「クフの大ピラミッド」を検索すると紀元前2560年の周囲の約20年と書いてありました。
 The Great Pyramid of Giza (called the Pyramid of Khufu and the Pyramid of Cheops) is the oldest and largest of the three pyramids in the Giza Necropolis bordering what is now EI Giza, Egypt. It is the oldest of the Seven Wonders of the Ancient World, and the only one to remain largest intact. Egyptologists believe that the pyramid was built as a tomb for fourth dynasty Egyptian Pharaoh Khufu (Cheops in Greek) over an approximately 20 year period concluding around 2560 BC.
 私は、以上の3つの記事を読んで、特に英語の記事を読んだ時に紀元前2558年前後に「クフの大ピラミッド」が完成したのだと確信しました。
 その紀元前2558年頃の1月1日(日曜日)の冬至にエジプト第4王朝のファラオ、クフは1年が365.25日の「太陽暦」を開始したのだと理解しました。但し、その暦はエジプトでは単に「太陽暦」と呼ばれたことでしょう。
 下記の定理は、1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の定理の応用編です。
応用編の定理の目的は「太陽暦」の開始年を理論的に解明することです。
 定理の+2はXが20のときに1月1日の冬至を日曜日にするために私が付け足した便宜上の数字です。それで、1月1日(日)の冬至にエジプト人は「太陽暦」を開始しました。
(-128×X)+2=?
①、紀元前2558年頃は1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」を開始した本命の年です。それで私は、Xに21、20、19と順番に代入して、範囲をもっと広げて1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の「開始年」を再検討しました。
 Xが21で紀元前2686年になります。(-128×21)+2=-2686
 Xが20で紀元前2558年になります。(-128×20)+2=-2558
 Xが19で紀元前2430年になります。(-128×19)+2=-2430
 つまり、最大限に見積もってアブラハムの先祖が紀元前2686年~紀元前2430年の範囲で1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」を開始すれば「ユダヤ人の古い太陽暦」の定理の応用編が成立しました。もちろん紀元前2686年~紀元前2430年の範囲内に大本命の紀元前2558年1月1日(日)「頃」がありました。「頃」はその意味です。
②、前々項の一覧表によって紀元前2558年1月1日は日曜日の冬至でした。だから「クフの大ピラミッド」が完成した紀元前2558年「頃」は1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」「開始年」でした。
 1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」、それから1年が365.2425日の「古いグレゴリオ暦」との関係Xは20でした。
 Xが20で紀元前2558年になりました。
(-128×20)+2=-2558
 更に私は下記の定理のXに19~0を順番に代入して以下の一覧表を作成しました。
(-128×X)+2=?
紀元前2430年(X=19)紀元前2302年(X=18)紀元前2174年(X=17)紀元前2046年(X=16)紀元前1918年(X=15)紀元前1790年(X=14)紀元前1662年(X=13)紀元前1534年(X=12)紀元前1406年(X=11)紀元前1278年(X=10)紀元前1150年(X=9)紀元前1022年(X=8)紀元前894年(X=7)紀元前766年(X=6)紀元前638年(X=5)
紀元前510年(X=4)紀元前382年(X=3)紀元前254年(X=2)
紀元前126年(X=1)西暦2年(X=0)
 上記の一覧表を見るとXが20で紀元前2558年になりました。
 上記の応用編の定理の研究によって、私は、紀元前2558年「頃」は「クフの大ピラミッド」が完成した年だと理解しました。


注:天文学データの一覧表があと2つあります。キンドル版でご確認ください。
 私の使命は「祭日」「祝日」「祭日候補」「祝日候補」を選考者の方々に提示することです。
 選考者の方々は「祭日」と「祝日」を吟味して推挙決定する主導権を握っています。私は「天国の26の祭り」を提案しました。聖三位一体の神と聖母マリアは配慮なさいます。

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