聖ヨハネは、ヨハネ福音書第1章4節~14節に神のみことばについて書きました。
みことばの内に命があった。その命は人間の光だった。光は闇の中で輝いた。闇はその光に打ち勝たなかった。神が遣わした者がいた。その名は洗礼者ヨハネだった。この人は証をするためにやって来た。光について証をして彼によって全ての人が信じるようになるためであった。彼は光ではなかった。光について証をするためにやって来た。全ての人を照らす真の光はこの世にやって来た。みことばはこの世に来た。この世はみことばによって出来たがこの世はそれを認めなかった。みことばは御自分の民の中に来たが民はそのみことばを受け入れなかった。しかし、それを受け入れて信じる者には神の子となる資格を与えた。人間の血や意思ではなく、男の意思によってでもなく、彼らは神によって新たに生まれた。みことばは人間となって民と一緒に住むようになった。私たちはその人の栄光を見た。それは神の独り子の栄光だった。その独り子は恵みと真理に満ちていた。
洗礼者聖ヨハネはイエズス・キリストを証しました。(ヨハネ1:15)
「私の後から来られる御方は私よりも偉大である。なぜならば、私よりも先に存在しておられたからだ。」
使徒聖ヨハネは「イエズスの公生活」を回顧して書きました。(ヨハネ1:16-17)
私たちは皆この人の満ち溢れる豊かさから恵みを受けた。律法はモーセを通して与えられた。しかし、恵みと真理はイエズス・キリストを通してもたらされた。御父を見た者はいない。御父の懐(ふところ)におられた独り子の神が御父を啓示したのである。
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