一方、皇帝アウグストゥスが閏年を3回廃止したので以下の年号が1日短くなりました。 紀元前5年、紀元前1年、紀元後4年が1日短くなって、合計3日間短くなりました。 1日増加した閏年が10回です。1日減少した閏年が3回です。 10- 3 = 7です。
ローマの神官たちの愚かな決議で以下の紀元前の年号が1日長くなりました。 紀元前38年、紀元前35年、紀元前32年、紀元前29年、紀元前26年、紀元前23年、紀元前20年、紀元前17年、紀元前14年、そして紀元前11年がそれぞれ1日長くなって合計10日間長くなりました。
次の表は「ローマ暦」の12月31日、それから1日増減した年度の一覧表です。 -45(日)-44(月)-43(火)-42(水)-41(金)-40(土)-39(日) 紀元前38年(火)-37(水)-36(木)紀元前35年(土)-34(日)-33(月) 紀元前32年(水)-31(木)-30(金)紀元前29年(日)-28(月)-27(火) 紀元前26年(木)-25(金)-24(土)紀元前23年(月)-2…
その矛盾に気付いた皇帝アウグストゥスは「ローマ暦」を改革しました。 アウグストゥスは紀元前8年から「閏年」を4年に1度に改めて、曜日をジュリアス・シーザーの時代と同じくするために3回「閏年」を飛ばしました。
西暦2000年、私は「暦を作った人々」を読みながら黙想しました。 ディビィット・E・ダンカン氏は「暦を作った人々」に概略次のように書きました。 紀元前45年、ジュリアス・シーザーは「ローマ暦」を導入して1月1日を日曜日で始めました。「ローマ暦」の1年は365.25日です。 シーザーは1月から12月までに31日と30日を交互に配置しました。 平年を365日にするために2月を29日にしました。 4年…
私は、③、(-128×〈7+13〉)+2=-2558「定理の改良型の分解型」の〈7〉について結論を先に書きました。 ローマ皇帝ジュリアス・シーザーが始めた「太陽暦」が7日間長くなって冬至の日付が1月1日から12月25日(日)になりました。
+2:紀元前2560年1月1日は金曜日です。紀元前2559年1月1日は土曜日です。 紀元前2558年1月1日は日曜日です。だから冬至が日曜日になるように+2を付け加えて1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」の「定理の改良型」を完成しました。
13:西暦8年、ユダヤ教の司祭たちは1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」を改革して「13日間」削除しました。 「13日間」削除しましたは私の「仮説」です。私の「仮説」なので誰も注目しません。
7:ローマ皇帝ジュリアス・シーザーが始めた「太陽暦」が7日間長くなって冬至の日付が1月1日から12月25日(日)になりました。
-128:1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」は1年が365.2425日の「古いグレゴリオ暦」に対して128年毎に1日の割合で長くなりました。
+2はXが20のときに1月1日の冬至を日曜日にするために私が付け足した数字です。 要するに、西暦2004年11月20日、それまで私が別々に黙想していた〈7→13〉は-128が閃いたことによって偶然と必然が重なって〈7+13=20〉になりました。
1年が365.25日の「ユダヤ人の古い太陽暦」は、架空なのですが、同時に採用した1年が365.2425日の「古いグレゴリオ暦」と比較すると128年毎に1日の割合で日付が長くなりました。
私は、読者が理解し易いように数字の順番を変えて解説しました。 +2はXが20のときに1月1日の冬至を日曜日にするために私が付け足した数字です。 要するに、西暦2004年11月20日、それまで私が別々に黙想していた〈7→13〉が閃きによって〈7+13=20〉になりました。
[4]、下記のAとBは同じ内容の定理です。 ②、(-128×20)+2=-2558「定理の改良型」 「定理の改良型」の数字の意味について私は既に[2] と[3]で解説しました。 ③、(-128×〈7+13〉)+2=-2558「定理の改良型の分解型」 「定理の改良型の分解型」の数字の意味について私は以下の[4]で解説しました。 私は、西暦2000年に7を黙想しました。それから以下の順番で黙想しまし…
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128年に1日の割合で日付が長くなることは「ノアの大洪水」以降、紀元前何年に開始した「太陽暦」であっても1年が365.25日の「太陽暦」が持っている宿命でした。 128年に1日の割合で日付が長くなるので、私は、第4章の本文に(Y=20日)の結果を書きました。 紀元後2年(Y=20日)に12月12日が冬至になりました。第12章の[3]を参照。 聖ヨアキムと聖アンナは聖マリアが聖ヨゼフと婚約する前に…
1、Yが1つ増えるごとにそれぞれ128年が経過したことを意味しています。 2、Yが1つ増えるごとに冬至の日付が1月1日から1日ずつ長くなりました。 紀元前2558年(Y=0日)1月1日(日)が冬至です。 紀元前2430年(Y=1日)12月31日が冬至です。 紀元前2302年(Y=2日)12月30日が冬至です。 紀元前2174年(Y=3日)12月29日が冬至です。 紀元前2046年(Y=4日)12…
引き続いて定理の(-128×20)、それから(-128×X)について解説します。 下記の1、2の「言葉の定理」は128年ごとの冬至の日付の変遷を確認するためです。 「言葉の定理」で重要なのは紀元後2年(Y=20日)に12月12日が冬至になることです。私は、「言葉の定理」のYに0から20を代入して冬至の日付が変遷していく一覧を作成しました。冬至の日付の変遷が一目瞭然なのでこれ以上に理解し易い一覧は…
1年が365.2425日の「古いグレゴリオ暦」の紀元前2558年1月1日は日曜日の冬至でした。その暦は本書のために私が制作して命名した暦です。従って、前項の一覧表の1年が365.2425日の「古いグレゴリオ暦」は歴史上には存在しない暦です。 私は、前項の長谷川司氏が採用した一覧表は1年が365.2425日の「古いグレゴリオ暦」であることを簡単に証明します。 天文学者長谷川司氏が「天文学データ」に…
まず、「定理の原型」の(-128×20)について解説します。 最も優れた暦は1年が365.2425日の「グレゴリオ暦」です。だが、「グレゴリオ暦」を採用するために人類は「グレゴリオ暦」の概念が完成した西暦1582年を待たねばなりません。但し、天文学者長谷川司氏が前項の「天文学データ」に採用している「太陽暦」は1年が365.2425日の「古いグレゴリオ暦」と同じです。長谷川司氏は西暦8年1月1日(…